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お弔いという事を考えてみました

最近、宝性寺の行事にお越しになる方から、”供養”というものの新しい考え方を聞きました。


その方は、先祖のお墓があり、それを日守する跡取りもいらっしゃるにも関わらず、先祖墓を閉じて永代供養墓にご先祖をお預けしたというのです。


先祖墓があるのにどうしてですか?!


その答えはとてもシンプルでした。

私達夫婦も高齢になって中々いけないの。そして息子達は忙しいし、もしも自分達が入ったと考えたら年に何回か遠方から来いというのは悪いじゃない?かといって寂しいと分かってる場所に埋葬されるのもなんかね。

それなので先祖墓を閉じて永代供養墓へ私達は入ると決めたの!だって永代供養だと常に華やかで誰が常に手を合わせてくれるのよ♪


嬉しそうに話されたその方の話を他の方々に話したところ、寺院に集まる方の多くは同じような感覚の方が非常に多く、改めて「永代供養」という言葉尻の受け止め方が新しい感覚に世間が変化しているということに気づかされました。


そして「永代供養」とは寺本位の話だけではなく、手を合わせる方の願いでもあるということを気付かされたのです。


その願いが集まる墓所として”永代供養墓”というものが必要となる事を知り、身寄りがあるなしに関わらず、多くの願いや信仰が集まる場所となるものになるなのだということを教えていたのです。


本来の故人を弔う。をかんがえた時、今生きている人が、信仰に寄り添って生きてらっしゃる方が思う弔いに対する願い。

寺院はこれにも耳をしっかり傾けなければならない時代になっているようです。