令和7年5月21日(水)10時〜
天道・ひょう難念仏会
表記の念仏会(ねんぶつえ)を宝性寺総代、宝性寺念仏講の皆さまと共にお勤めいたしました。
まずは智山勤行式と同行和讃、宝性寺の御詠歌、般若心経和讃をご参列の皆さまとお唱えし、心を整えてから念仏会へと座を移して行いました。
大きな念珠で大太鼓と大鉦を囲み、その後方から小太鼓で助太刀し"南無阿弥陀"を皆で唱えて祈念する念仏会です。
「ねんぶつえ」といいます。
何を祈念するのかというと、お日さま、お天道様へ育てた穀物を大雨、雹(ひょう)がないようにお願いするのです。
大きな声で笑顔でお願いするのです。
信仰とは色々な時代で継承が交錯して現代へ継がれています。
現在のさいたま市南区南浦和の地区は大谷場という地名で発展した村でした。
大谷場という地名は現在は一部となってしまいましたが、南浦和駅周辺、西口側も東口側も大谷場という地名で長く護られてきました。
その大谷場の村は田畑が多く、農村地区でした。
その農家の皆さまが阿弥陀信仰で穀物を育て守ってこられた時代がありました。
その名残りを宝性寺では今も大切な信仰として守っております。
日頃、宝性寺で御詠歌を唱える方々は遍照講講員との呼称ですが、この日は宝性寺念仏講としてお願いし、皆さまのご先祖への感謝も込めて、お天道様へ祈念しています。
本日も大きな声で南無阿弥陀を唱えてお念珠のお留めに宿され託された阿弥陀さまへそれぞれの想いを届けました。
生きていれば嬉しいことだけではなく、辛く悲しいこともあるでしょう。
感情があるからこそ、色々なことを想い考えてしまう。
その想いを安らぎ、安心(あんじん)として包んでくださることがあるかもとして守られているのが信仰の奥深さのような気がしています。
そのような想いを募らせてもらえるのも、宝性寺に集まる祈りがあるからこそと、日を重ねるごとに思わされます。
それを智恵として見届け続けてくださるご本尊。
本日もきっと微笑んでくだっていると信じて祈念しました。
日頃あまり唱えない南無阿弥陀という真言。
たまには大きな声で唱えるもの良いものです。
とても心が洗われました。
ご参加なされた皆さまはいかがだったでしょうか。
今年も多くの方々と宝性寺の歴史を継承させていただきました。
本当に感謝です。
日々皆さまの想いをご本尊へ届けることをまっとうさせていただきます。
本日ご参集いただきました皆さまありがとうございました。
来年も元気に皆さまもお唱え出来ること楽しみにしております。
合掌
※当お勤め会の他の写真はFacebookにてご参加いただいた皆さまご了承のもと掲載しております。お写真からもこの会の雰囲気が伝わるものばかりです。気になる方は是非閲覧くださいませ。
