仏の道とは何でしょう

ー 副住職のブログ ー

はじめに

このページのお断りとして、副住職が空手道場をやっているとか空手勧誘などお知らせではございません。ましてや副住職の経験、経歴をひけらかすつもりなど毛頭ございません。

上の写真は宝性寺ホームページ制作を手掛けてくれた印刷デザイン本舗の社長さんが、新品の一眼レフカメラでの撮影に際し、色々なバージョンでとの好意により撮影していただいた記念の写真です。

色々な”道”は一つの道に通じているのではないかという考察からこのページがございます。何卒寛容に眺めていただければと思います。

一つの”道”を歩むと色々な制限や時には厳しく律せねば通れないこともある。
その道の歩み方が、世の中の方の持つ僧侶のイメージに近いのではないかと感じております。

僧侶だって人の子です。ましてや色々な誘惑もあり世間の持つ僧侶像とはかけ離れた部分も多く、日々悩み考えているのが実状です。

その中、何かに真剣に向き合ってみるというのに副住職は武道も一つの選択とし、色々な角度で見識を深めたいと歩んでおります。
それぞれのライフスタイルがある昨今、人生という歩む道に正解はない。ただその中選択した武道の道で仏さまと向き合う学びを求めてから、様々な貴重な経験をさせていただくことが増えました。これはもしかしたら発想が逆かもしれません。つまり好きな道を歩んでみたら仏さまの教えの学びがあったと。

そしてチャンスともいえるお声掛けをいただけるようになり人との繋がりの不思議さに感謝の深さが増しこれが祈りと繋がっているのではないかと思えることが増えました。

その感謝、祈り答え探しに、一生懸命に今を生きるという当たり前のテーマで宝性寺では仏の道と真剣に向き合いみなさまと考えて参りたいと思っております。

副住職のブログ

2017年

10月

07日

宝性寺の考える永代供養とは

△10月7日現在、現在宝性寺永代供養墓地は真新しい外装に改装中です。
故人を偲ぶ。便利な時代になっても弔いの気持ち、ご供養の気持ちは今も昔も変わらないという調査があるとニュースで見ました。

わざわざ供養塔の気持ちにまで調査される事という事に驚きですが、時代の流れの速さに色々な行事などが淘汰されていくようなので、"気持ち"の部分も調査されているようです。

そして弔いの仕方については、多様化されていっているようです。

大切なのは故人を偲ぶということ。どのように弔うかはお弔いする方の気持ち、安心出来る事が大切な気がいたします。

さてその多様化されるお弔いの選択肢に永代供養というものがございます。

南浦和 宝性寺ではこの「永代供養」という弔いをこれまでの檀家制度と並行共有する大切な一つと考え、新たに「南浦和霊園 宝性寺 永代供養墓地」として宗派問わずで墓所を解放する事となりました。

元々南浦和は多数の墓所でした。そこには地元旧家の方々の特定が出来ないご先祖さまが眠っておられました。その御遺骨を合祀されている墓所に「永代供養」としての仏さまをお預かりすることとなります。

ですので、宝性寺にお参りに来られる方が一番手手を合わせられる場所が永代供養墓地という事にもなるかと思います。

中々、忙しくてお参りに行けないという方の代わりと言っては多少の語弊はありますが、いつでもお花とお線香の香りが絶えない明るい場所です。

宝性寺はJR南浦和駅前という立地ということもあり、ご家族がいつでもお参りに来れる場所です。

弔いというものを考えられ、ここを目にした方は気軽にご相談いただければと思っております。

"永代供養"ひと昔前は何か寂しい響きに捉われがちでしたが、宝性寺が提案する永代供養は"永続的に寺方だけではなく皆で手を合わせ祈り合うもの"と願うものと考えております。

2017年

7月

11日

ご供養とはどなた目線なのか

ご供養は故人を弔うもの、故人がご遺族に弔われるもの。ちょっとしたことですが、供養に対しての目線の違いがあります。

ではどちら側の考え方が正しいのでしょうか?

どちらとは言えませんが、近年、ご供養についても多様化されているような気がしています。
どちらでもないような気がしていまして。
その中で「永代供養」というご供養方法を宝性寺では目を向けるようになりました。

「永代供養」という言葉を聞くとどのように思われますか?
敢えてここでは言いませんが、まだおそらく多くの方が同じような印象をお持ちになられるかと思います。

20年前、「携帯電話」というとたいへん高価な物で贅沢なもの。という印象を多くの方がお持ちになっていました。

これから「永代供養」は先の目線とは多少の違いがある生きておられる方が、自分の供養といえものに目を向けようという時代が来た時に、自分目線からのものになっていくような気がしております。

宝性寺は「永代供養」という現代に聞き慣れた言葉でも信仰というものに寄り添いたいと考えております。

どういうこと?
興味のある方は、是非ご連絡ください。

2017年

7月

07日

お弔いという事を考えてみました

最近、宝性寺の行事にお越しになる方から、”供養”というものの新しい考え方を聞きました。


その方は、先祖のお墓があり、それを日守する跡取りもいらっしゃるにも関わらず、先祖墓を閉じて永代供養墓にご先祖をお預けしたというのです。


先祖墓があるのにどうしてですか?!


その答えはとてもシンプルでした。

私達夫婦も高齢になって中々いけないの。そして息子達は忙しいし、もしも自分達が入ったと考えたら年に何回か遠方から来いというのは悪いじゃない?かといって寂しいと分かってる場所に埋葬されるのもなんかね。

それなので先祖墓を閉じて永代供養墓へ私達は入ると決めたの!だって永代供養だと常に華やかで誰が常に手を合わせてくれるのよ♪


嬉しそうに話されたその方の話を他の方々に話したところ、寺院に集まる方の多くは同じような感覚の方が非常に多く、改めて「永代供養」という言葉尻の受け止め方が新しい感覚に世間が変化しているということに気づかされました。


そして「永代供養」とは寺本位の話だけではなく、手を合わせる方の願いでもあるということを気付かされたのです。


その願いが集まる墓所として”永代供養墓”というものが必要となる事を知り、身寄りがあるなしに関わらず、多くの願いや信仰が集まる場所となるものになるなのだということを教えていたのです。


本来の故人を弔う。をかんがえた時、今生きている人が、信仰に寄り添って生きてらっしゃる方が思う弔いに対する願い。

寺院はこれにも耳をしっかり傾けなければならない時代になっているようです。

▲副住職と家族が平成29年2月22日の埼玉新聞朝刊に空手道のことで掲載していただきました。
▲久光製薬サロンパスのCMに副住職が出演させていただきました。(2016)

▽youubeでのその時のCM動画